戦争終結を伝える“玉音放送”を聞いた一般の人々は何を感じたか? ヒストリーチャンネル制作オリジナルドキュメンタリー『名もなき人々の戦争』本編映像
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- Опубликовано: 13 авг 2022
- グローバルメディア企業A+E Networksの日本法人、エーアンドイーネットワークスジャパン合同会社は、世界大戦は今日の日本に何をもたらしたのか、大戦終結77年目の今語る、日本人が見た戦争の真実を描くヒストリーチャンネル制作のオリジナルドキュメンタリー番組『名もなき人々の戦争』を各種配信サービスにて、配信中。
解禁された番組本編の一部は、戦争終結を伝える“玉音放送”を聞いた市井の人々のインタビュー映像。1945年7月26日にアメリカ、イギリス、中華民国の3大国により決められたポツダム宣言による日本の無条件降伏という最後通牒から、原爆の投下、ソビエト侵攻により日本は8月15日に太平洋戦争に終止符を打った。
日本の戦争の終結に向けて天皇の存在をどうするか、という課題について、天皇自らの声を通して終戦宣言を行った「玉音放送」。当時ラジオから聞いた市井の人々の反応はさまざまなものがあった。
「呆然となりましたね。今まで軍の命令でずっと生きて、軍の配給でなんとか乏しいながら生きてきたのに、これから自由って言われたらどうしたらいいのか」「我々は“アンパン”っていう携帯地雷を抱えて戦車の下敷きになる風に教えられた。だからそのつもりだった。ところが俺は生きられる、と思った。それまでは100%死ぬと思った。死刑台で首をくくって今ガタンと落ちる前に釈放の書類が来たみたい」と当時の気持ちが赤裸々に語られる貴重な映像となっている。
■各種配信サービスURL
・Amazonプライムビデオ:www.amazon.co.jp/gp/video/det...
・Hulu:www.hulu.jp/war-of-innocents
・U-NEXT:video.unext.jp/title/SID0071223
・Rakuten TV:tv.rakuten.co.jp/content/426190/
・Apple TV:tv.apple.com/jp/show/war-of-i... Кино
最後の方、生きられるとわかって嬉しかった当時の気持ちをそのまま覚えているような話し方ですね
いい笑顔です、長生きして欲しい
もっと、このような貴重な話を映像として残して欲しい
過去封印
ここに登場してくる爺ちゃん婆ちゃん達がお歳を召されてるのに上手く話が出来ることにびっくり。大体の年寄りは何言ってるかわからないからね。
単純に、「うれしい」というような表情をそのまま捉えていいものなのか、当時の人にしかわからない事。2度と起こらないことを祈ります。
玉音放送があった時私の母は11歳の少女だった。それまで天皇陛下は神様だと教えられてきたので、ラジオから普通の人間の声が聞こえてきてビックリしたと彼女から聞いたことがある。
死刑台の喩え、あまりにも壮絶な……想像を絶します。
最後の方の、俺生きられると思った。
俺には一生分からない感覚なんだろうな。
本当に涙が出てくる。
体験するかもしれない可能性が大きくなってきましたね。
うーん
私は京都で小学校4年のとき終戦を迎えた。夏休みだったが学校に呼ばれて登校した。帰ると母親が「先生がなんとおっしゃった」ときくので、先生はそんなに話さなかったと答えた。母は「大きくなったらカタキを打て」と言わなかったかと訊くので、そんなことは言わなかっと言うと母は「そんな先生だから戦争に負けたんだ」と憤慨した。
私は昭和42年にアメリカに留学した。母は肺炎をこじらせて私の留学1年目に亡くなったが、私は行ったばかりで帰国する余裕がなかった。そして50年以上ニューヨークに住み、カタキを打つどころかアメリカ国籍をとってアメリカ人になるような罰当たりなことをしてしまった。
罰当たりと思うかどうかは自分次第。僕はそう思いませんよ。
言っちゃ悪いがそんな母親だと自分の子供が特攻隊になっても喜ぶのかな。
日本がやるべき事は米国に対する仇討ちではなく、國を建て直したりより良くしたり、近隣諸国の脅威から国家(同胞)を守ったり、極力色々な国で“上下の無き健全で対等な”友好関係や協力関係を結ぶ事だと僕は考えます。
まさに祖父の感想と同じ。20で死ぬ。決まっていたと
何言ってるか分からなかったが戦争が終わったとわかった時はみんな万歳だったと爺さんは言ってたな。
悔しがってる人は皆無だったそうだ。岩手盛岡の話。
お一人は100歳を超えても芸術活動をされていた野見山暁治さんですね。
95歳の祖母に、戦争の時代は皆食料に困ってたから太ってる人なんていなかったでしょ?って聞いたら、いたよ!って言われた。
それは上級軍人か兵器を製造していた会社の幹部連中ですか?
@@MrEjidorie
多くは聞いてないけど、そういう特別な環境の人でもなかったみたいです。
良いもの食べてるんじゃないかって妬まれるのでは?って、聞いたけどそうでもなかったみたい。
当時は皆、自分の事で精一杯だったのかもしれませんね!
今も続く争い戦争で得たものは何も無い
あるよ、現在の医学は生きたまま人体実験した成果が影響している。
人類の科学の進歩も軍事利用の目的があったからだ。
牛や豚のような生き物を殺して得るものはないといっているようなもの。
善悪でいえば当然悪いさ、しかし何も掴まず起き上がらなかったことがせめてもの救い。
他人(天皇)の為に命をささげる。こんなばかげた話はないのも事実。
現代社会では会社の為に自分の一度しかない人生の時間をささげている。
将来自分の意志に反した深残業や徹夜、個人的な用事を犠牲にした働き方も変わることを望む。
こんな大事な内容をたった3分でわかったような気にならないでほしい。戦火を生きた人々を想像しながら玉音放送の全てを聞いてみてほしい。膝が上がらなくなるほど泣けてくるから。
わかったような気になってるのか?
何か気にさわったか?
少なくともその時代を経験していない私たちが、玉音放送について完全に知ることなんてできない。だから知ろうと、わかろうとする姿勢が大切なんだよ。だから
たった3分なんて言わないでほしい。
十ヶ月以上前のコメントかつ、上の方の論調に乗るようで気が進みませんでしたが、削除か、無理ならせめて編集で、発言を訂正してもらいたいと思ったのでコメント致します。
「たった三分」
今までわからなかった人、興味が無かった人が少しでも興味を持つきっかけとなり得るかもしれない濃密な3分24秒の動画を、「たった三分」等と省略して形容した上に、あまつさえこの程度で分かったような気になるなという言葉迄文章中に含まれていると、多くの方は、自分の優位性を誇示したいだけにしか、読み取れないのではないかと、私は思います。愛国心が故、戦火の火を再び灯すべきではない、もっと深く知るべきだと、警鐘の意味であえてこういった論調を用いておられるのかもしれませんが、端的に言って大変不愉快です。真に人の心に訴えかけたいのであれば、論調を変え、「戦火を生きた人々」なんて曖昧なくくり方もやめて、例えばこの3分24秒の中に含まれている3名の日本人の方の言葉を拾って、そこにご自身の言葉を足して、何か伝える事も、出来ると思います。ご家族が経験されたのであれば、それを聞かせることも出来ると思います。そのように、少しやり方を変えればあなたが伝えたい思いは、もっと上手く伝わるように思います。それと、どうせならという所で、もう一つだけ伝えさせてください。あなたは泣く事が、その物事を理解した証と認識しているように文章中から私は感じ取ってしまいましたが、私の祖母は、戦時中に夫(祖父)と子の2人を亡くした後、玉音放送を聞いて、唇を噛みちぎってしまう程、怒りに震えて未動き一つ取れなかったと、言っていました。祖母が亡くなるまでの間、2、3度戦時中の話を聞かせてくれましたが、その目と言葉はいつも、涙や感傷ではなく時代や戦争への怒りに満ちていました。そのように、他にも泣けない方も大勢いらっしゃるかと思いますが、私はそれらの方が、理解が足りていないから泣けないんだとは思いません。泣ける=理解しているみたいな論調も、出来れば変えて頂きたく、思います。
少し長くなってしまいましたが、以上の事を踏まえて、少しでも、発言を見直して頂けましたら幸いです。宜しくお願い致します。
原爆落としたことは憎まずにいられない
ミッドウェー海戦で諦めていれば原爆は落とされなかったかもね。
1:18📟
当時のいろいろ難しい言い回しは一般の国民も使ってたんですかね?私生活と規律正しい場面で違うんですかね?
今でも高齢の方は語尾に○○でありますとか言いません?
またやんのかなぁ。皆兵だって言われても、もう役に立てないよ。
ポツダム受託は昭和20年8月13日です。通信網では傍受されていた、インチキデタラメ放送番組
決断をしたのは天皇陛下でなく軍部に決断させたのだ。
勝ち目ない開戦70年以上すぎた過去わすれ未來へすすむ
戦争とかやっても何も生み出さない、こんなこと誰でもわかってんのに、なんで戦争やるかね。ロシアも戦争やめろや、プーチン、戦争やめろや。